#002 Bloom
iPhone,そしていつか音楽と呼ばれるもの #002 Bloomについて.
サウンド&レコーディングマガジンの今月号でBloomの特集があるらしい.
ちょうどいいタイミングなので,今回は,RjDjと同じくApp Storeミュージックカテゴリにおける目玉,「Bloom」を扱う.(App StoreへのLink)
前回取り上げた反応音楽は,環境音を積極的に取り扱う生成音楽(Generative Music)という見方もできる.今回はBloomを題材に生成音楽について考え,前回,後半で上げた”委譲”というキーワードをさらに掘り下げていく.
Bloomと生成音楽を理解するために,生成音楽の名付け親であり,Bloomの共同制作者であるブライアン・イーノの解説を参照しておく.
以下は,イーノの1年間の日記を書籍化した「A YEAR」(訳:山形浩生!)の補遺に収録された「ジェネラティブ・ミュージック」の冒頭部分の引用である.[p.542]
わたしが長いこと興味をもっていることの1つに,音楽や視覚的な体験をつくり出せる「機械」や「システム」の発明がある.
こういう「機械」は,多くの場合は実体としてのものではなく,概念的なものだ.要するに,わたしの指定した材料やプロセスで音楽をつくるけれど,その組み合わせ方や相互作用は指定しないでいい,というものだ.
(中略)
わたしのレコードは,いつもこうした組み合わせシステムの出力結果の録音なのだった.こういうシステムはオリジナルな音楽をいつまでも作り出せるのだが,レコードにのるのはそのうち30分だけで,これはもちろん,再生するたびにまったく同じなのだ.でもわたしがずっとやりたかったのは,こういうシステムそのものを売ることだった.
Bloomはこのイーノの夢であった「システム」そのものの配信である.それは「オリジナルな音楽をいつまでも作り出せる」し,30分どころか,時間と電池がある限り,iPhoneが壊れるまで再生される.
Bloomの機能
先にBloomがどのような機能を持つアプリケーションなのか,把握しておこう.Bloomを起動すると,まずListen / Createの二つの選択肢が提示される[図 1].Listenの場合は自動的にリヴァーブがかったピアノが鳴り始める.Createの場合はユーザーがスクリーンをタッチすることから開始される.
ともにピアノ音とは別の音として,パッド系のドローンが流れている.画面をタッチすると,ピアノ音が鳴り,同時に[図 2]のような円が波紋のように広がっていく.スクリーンの縦位置がピッチ(音程)に対応しており,下部が低く上部に向かう程高くなる.そのようにしてタッチして鳴る音,もしくはBloomが生成する音が様々なパターンを延々と生み出していく.そしてListen / Createどちらを選んだかにかかわらず,いつでも途中でスクリーンをタッチして音を足すことができる.
図1. Lsten / Createの選択 図 2. メイン画面
設定画面[図 3]では,この変化の(一部の)設定が行える.iPhoneをシェイクすることで音をクリアする機能のオン・オフや,音(もしくはパターン)の繰り返しのタイミングとも言えるDelay時間を設定できたり,Mood画面[図 4]ではMoodの選択や,操作がない場合(idle)の自動の変化を有効にするなどの設定ができる.
このように設定されたルールを基本とし,Bloomは様々な音楽を生成する.それら生成される音楽は,イーノが言うように,毎回違う音楽とも言える.


図 3. 設定画面1(Controls) 図 4. 設定画面2(Mood)
Bloomが生成するのは,毎回違う音楽なのだろうか.冒頭の引用にある,「こういうシステムはオリジナルな音楽をいつまでも作り出せる」が気になる部分である.本当にそうなのだろうか.それが毎回違ったものであるとしても,それらは毎回違う「オリジナルな音楽」なのだろうか.生成音楽は自動作曲の文脈で語られることが多い.しかし,毎回作曲がなされるというよりはむしろ,常に変化することによって,毎回作られているように感じられる,ととらえる方が,Bloomを考える上では適切なのではないかと思う.
であるとしたら,私たちががこの変化に介在できることは,いったいどのような意味をもつのだろうか.
以降は,この介在できることの意味を主題として考えていく.
Bloomが引き受けるユーザーの介在
Bloomで(従来的な意味での,楽器を弾くような)演奏をすることはあまり重要ではないと思う.特に音のつながり(時にメロディーとも呼ばれるもの)を作るような操作が要求されているわけでもない.それよりは.あるきっかけを与え,それをBloomがどのように変奏していくのかを眺めるような操作・鑑賞が前提とされているように思う.
その意味で,ユーザーの行為はちょっとしたトリガーにすぎない.このBloomにおけるユーザーの行為を,金子智太郎氏は「だらしない演奏」(http://d.hatena.ne.jp/tomotarokaneko/20081008/1223495326)と表現したが,筆者はここでは「演奏」であるという立場は取らず,ちょっとしたトリガー,「介在」であると考える.
そして,ユーザーがどのように介在しようとも,それによって破綻せず,Bloomらしさとも言うべき一定の持続性を保ち続けることに注目する.このアルゴリズムとサウンドデザインがBloomにおける核であり,「一緒に演奏しよう」とか,「あなたも音楽が作れる」といった意図によってデザインされたものではないだろう
(もちろん,Bloomの音楽にタッチによる演奏で参加できた!と言う立場もありである.)
ではなぜ介在できる仕組みをもつのか,なぜ介在できるように設計されているのか.思うに,Bloomで再生される音だけをとれば,ユーザーがスクリーンをタッチできる必要はない.タッチできないヴァージョンと,できるヴァージョンを聞き比べて,その違いが判断できるだろうか.おそらくどちらであってもBloomとして聞こえるだろう.このように従来的な意味での「音楽」だけに注目したのでは,違いは見えてはこない.ならば,なぜユーザーの介在を可能としているのか.Bloomが現に介在できる仕組みを持つ以上,そこには「音そのものだけではない何か」が指向されているのは間違いないし,非常に重要な役割を果たしていると考える.
これを前回でも少し述べた,委譲というキーワードとつなげて考えてみたい.
委譲
まず,委譲は
権限などを他にまかせてゆずること。(大辞林第三版)
とある.
以下では簡単に,何かを決定する権限が移動する,とイメージして欲しい(権限と書くとかなり強いイメージがあるが,よい言葉がない).
一般に,委譲の度合いはヴァリエーションの増加と比例し,委譲者の意図の伝達量と反比例すると考える.例えば,レコードはそれまで演奏会場に行くしかなかった音楽を,家でも聴けるようにした.これはその音楽がさまざまな聴かれ方をするというヴァリエーションの獲得である.しかし一方では,音楽制作者(委譲者)から見れば,どのような環境で聴かれるか,コントロール不可能であり,時には安いラジカセで意図しない音質で聴かれることとなる.それは作者の意図の伝達を大なり小なり阻害する.
同様にCDはレコードに加えて,Album収録曲を好きな順番で聴ける,というヴァリエーションをもたらしたが,トータルなコンセプト,曲順という意図が届かなくなる可能性に常にさらされている.例えば,ビートルズの「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」をシャッフルで聞けば,それは大きく意味が変わってしまうと言わざるを得ない.
この委譲がもつ,意図の伝達量の低下に意識的であれば,委譲しないこともできる.たとえば,PrinceはアルバムLovesexyにおいて,全9曲をトラックにわけず,1曲45分のCDとしてリリースした.このように委譲に意識的であれば委譲しないこともできる.
しかし,委譲によるヴァリエーションの増加に意識的であれば,それは新たな表現を生むことができる.
たとえば,池田亮司氏は.サイン波2本のみのCDをリリースした(Matrixの二枚目).サイン波が,聞く環境やリスナーの(スピーカーを起点とした)聞く位置によって様々に変化する特性を上手く見せたこのCDは,様々な環境で聞かれることを逆手にとった例である.
他の例としては.Ios Smoldersなど,膨大なトラック数を持つCDをリリースした人が居たが.これはシャッフル機能を逆手にとり,それを含めた表現を獲得した例である.
上記二つの例ともに,どのように聞かれてもよい設計・戦略を取ったことが,表現の幅を広げることへつながっている.
いささか乱暴な議論ではあるが,委譲というキーワードのおおよそのイメージはつかんでいただけるかと思う.
Bloomが委譲によって獲得したのは何か?
Bloomにおいては,ユーザーがタッチせずとも,パターンを生成することは十分可能であったはずである.実際,起動時にListenを選べば,何もしなくとも生成が開始される.しかも,介在できようができまいが,Bloomの生成する音だけとれば,先ほども述べたとおり,どちらも同じBloomの音楽であろう.
にもかかわらず,Bloomは介在する手段を提供している.ここで”意図的な委譲”が行われているのは明らかである.この委譲によってBloomが獲得した表現は,ユーザーの介在という外的要因へ対応できることの提示である.
この外的要因への対応は生命を想起させる.そして,生命が外的要因に影響されつつも,自身を常に更新しながら「自身」でありつづけるように,Bloomはユーザーがいかに介在しようとも,Bloomらしさを失わない.この生命のメタファーは,Bloomの設定画面にあるEvolve(進化)という表現や,Moodの名前からも明らかであるし(例えば,Benzoin ベンゾインは有機化合物の名前である),実際イーノは以前のインタビューで,自身の音楽に対するスタンス,手法をガーデニングを例に説明してもいる.
このように,アルゴリズムによって絶えず変化していくことに加えて,外的要因へ対応できることが,Bloomの特徴である.それは生命がそうであるように,とらえどころのなさを感じさせる.そして,このとらえどころのなさは,その変化が持つある種の広がり,空間を想起させる.Bloomを構成するリヴァーブがかったピアノの音色とドローン,波紋を思わせるグラフィックのデザインは,その表現における選択として,いささかハマり過ぎな感すらある.
もはや「音楽」だけではない何かが・・
以上のように,Bloomは意図的な委譲によって,その表現の幅を広げることに成功している.Bloom においてユーザーの介在は,単なる「オプション」ではないのではないか.従来的な意味での「音楽」として考えた場合,ユーザーの介在はあまり関係がないにもかかわらず,それがBloomにおいては非常に重要な要素であると考えざるをえない.これは「音楽」の「体験」のヴァリエーションが増えたということなのか,それとも「音楽体験」= 音楽自体の変化なのか.
もちろん,Bloomのように介在を可能としたものは,今まで山ほどあっただろう.しかし,MP3(AAC)もBloomもiTunes Storeという同じラインで配信されている.そしてiPhone上でそれらにアクセスする方法は,iPodとBloom,どちらのアイコンをタップするかという違いでしかない.
このような状況下においては,もはや音楽とは何かという概念をアップデートしなければならないのではないか.音楽の四要素(ピッチ・リズム・ハーモニー,に加えて音色)以外の要素までをも含めなければ,Bloomを扱うことはできないのだから.


12月 17th, 2008
[...] その中で特に興味深かったのが、イーノが「委ねる」(ゆだねる) という言葉を繰り返し使っている点です。セックス、アート、宗教、ドラッグといった超人格的力に対する「surrender」から、「委ねる」ことを積極的に肯定する、という話題に入っていきます。詳しくはインタビューを読んでいただくとして、作曲における「偶然性」を重視するイーノらしい発言だと受け止めました。Bloomを題材に音楽における「委譲」をテーマに取り上げた永野君のポストもあわせてお読み下さい。 [...]